谷中七福神のひとつ「護國院大黒天」
住所:〒110-0007 東京都台東区上野公園10-18 Googleマップ
アクセス:東西めぐりん「6-上野桜木会館」、都営地下鉄千代田線「根津駅」からどうぞ
護國院は東叡山寛永寺の子院として、寛永2年(1625年)に建立された天台宗の寺院です。現在は上野公園の裏、東京藝術大学美術学部横にありますが、もともとは東京国立博物館の裏あたりに位置していたそうです。
三代将軍徳川家光寄贈の大黒天画像
寛永16年、大阪城落城から25年経ったおり、徳川・豊臣両軍の死者の霊を弔うための法要を護國院が執り行ったことが幕府に評価され、三代将軍家光から大黒天画像を贈られたそうです。それ以来、護國院大黒天として多くの人に信仰されるようになり、谷中七福神のひとつとしても数えられるようになりました。
台東区教育委員会掲示案内
護国院は、天海の弟子生順が、釈迦堂の別当寺として、現在の東京国立博物館の右手奥に開創した。承応2年(1653)・延宝8年(1680)に寺地を西方へ移転し、さらに宝永6年(1709)現在地に移った。延宝8年・宝永6年の移転は、それぞれ四代将軍家綱霊廟・五代将軍綱吉霊廟の建立にともなうものである。また、昭和2年、第二東京市立中学校(現、都立上野高校)建設にともない、本堂を現在の位置に移した。 現存する本堂は釈迦堂とも呼ばれ、享保7年(1722)3月の再建。間口7間(18.2メートル)、奥行5間(13.6メートル)。唐様の建築で中央奥の須弥壇に本尊釈迦三尊坐像を安置する。また、大黒天画像は三代将軍家光から贈られたものと伝え、谷中七福神のひとつとして信仰をあつめている。 庫裡の一階部分は、昭和2年の新築。東京美術学校(現、東京藝術大学美術学部)教授岡田信一郎の設計で、各間取りは機能的に配置されている。昭和初期の住宅建築の風潮を良く伝えており、平成13年国登録有形文化財に指定された。 岡田は、東京美術学校・早稲田大学で設計教育に携わるかたわら、旧鳩山市郎邸(大正13年竣工)・歌舞伎座(同年竣工)等を手がけ、和風建築の設計に手腕を発揮した人物である。
引用:台東区教育委員会掲示より
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